モノにはいろんな種類がある。使い捨てられるモノ、使い続けられるモノ、使われないまま忘れられているモノ、もう使えなくなっているのに捨てられないモノ、捨ててしまったけれど、いつまでも忘れられないモノ。
昨日、僕はボロボロの愛車ハイゼットバンを手放した。七年程前にオークションでニ万円で手に入れて、二度自分の手で車検を通しながら乗り続けた。彼に乗って僕は、撮影機材を運んだり、便利屋をやったり、葬儀屋の仕事をしたり、何度もビーチパーティを開いたり、引越しをしたり、愛犬を連れてドッグランに通ったり、彼女を乗せて夜明けの海に出掛けたりした。
しかし、残念な事に三年ほど前に、クラッチが滑り始め、スタートが難しくなってきた。やがて彼はドンキホーテのパーキングの急なスロープを登れなくなり、そしてとうとう環七のアンダーパスを登り切る事が出来なくなった。僕は彼を公道で走らせる事を諦め、廃墟の裏庭に停め、修理屋を探した。しかしどの修理屋の提示する金額も彼を手に入れた金額よりもはるかに高く、皆一様に同じ値段を出したら同じような車が買えるから修理はやめた方が良いと言った。中古パーツを探して自分でクラッチ交換をする事も考えたが、専門知識も経験もない僕には、とてもじゃないが出来る仕事とは思えなかった。
やがて車検も切れ、僕は彼を修理して動かす事をとりあえず諦め、保険を解約した。それでもナンバープレートはつけたままで、もし何かのあぶく銭が転がり込んだら、彼を修理して再び車検を通し、生き返らせる事が出来るかもしれないという淡い希望を繋いだ。しかしそんな奇跡は起こる筈もなく、やがてバッテリーが上がり、タイヤのエアーも減り始め、裏庭の土の上に長期間置かれたままになっているせいだろう、車底を覗き込むと錆が拡がってきていた。僕はついに彼を再び走らせる事を諦め、廃車の手続きをした。それでも、軽自動車協会での手続きで、一時廃車か、完全廃車かの選択を問われると、最後の希望を残して一時廃車を選んでナンバープレートを返納した。
廃車になってからも僕は彼を処分する気持ちにはなれなかった。彼は廃墟の裏庭にずっと停めらて動かぬまま、その荷台スペースを物置として利用される第二の人生を歩き始めた。僕は彼の事を「廃墟のAnnex 」と呼び、様々なモノを放り込んでは引っ張り出し、モノで溢れた廃墟のスペースを少しでも広げる事に利用してきた。
彼がまだ元気に走っている時だけではなく、もう走らなくなってからも、彼との思い出は増え続けて行った。僕は本当にどうしても処分しなければならなくなるまでは、「Annex」をそのままにしておくつもりだった。
そして、昨日がいよいよ彼とのお別れの日になった。僕は引き取りにやって来た業者さんと一緒に彼を道路まで押し出した。全ての荷物を降ろし空っぽになった彼は、意外な程軽かった。彼はレッカー車に引っ張られ、ゆっくりと角を曲がって見えなくなった。
Annex が無くなってガランとした裏庭はとても不自然に見えた。そこには三年以上の間ずっと彼が停まっていたのだ。彼の無い眺めが見慣れないのは当然の事だろう。
そんな裏庭を眺めながら、僕は彼と過ごした日々の事を思い返した。もちろん悲しかったが、それよりはむしろ、感謝の気持ちの方が大きかった。そして、できる事なら、もう少し長く一緒に走っていたかったと心から思った。そうしたら、もしかしたら、僕のこの数年の苦境も少しは違ったものになっていたかもしれない。
彼を見る事はもう二度と無い。しかし、僕は彼を決して忘れないだろう。誰にでも、あるいはどんな車でも、同じだとは思わないが、少なくとも僕にとっては、クルマというのは、そういう類のモノなのだ。